『マリー・アントワネットの“パンがなければ…”とモーツアルトの求婚』
『マリー・アントワネットの“パンがなければ…”とモーツアルトの求婚』Marie Antoinette
マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリシュMarie Antoinette Josepha Jeanne de Lorraine d’Autricheを本名とするマリー・アントワネッ
そして、アントワネットが14歳6ヶ月を迎えた1770年5月16日、フランスとオーストリアの関係をより密にするために、15歳9ヶ月のルイ16世と結婚し、その日からフランス国王ルイ16世の王妃として生きることになります。
母親のオーストリア大公マリア・テレジアが主に望んだ攻略結婚でしたが、結婚当初はルイ16世は彼女の可憐さに
★アントワネットは結婚前のドイツ語名もマリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハーナ・フォン・ハプスブルク・ロートリンゲンMaria Antonia Josepha Johanna von Habsburg-Lothringenとフランス語名に負けじとも劣らない長い名前でしたが、オーストリア人として生きた14歳までは、皇帝の娘として何不自由のない、また、教育熱心な両親の元で暮らしましたから、マナーと教養が身についた高貴な貴族として育ちました。
その器量よしから、幼い頃から庶民の憧れにもなり、王族や貴族が集う上流社会では、若者たちの注目を集めるよう
また、音楽好きの両親だったことで、アントワネットは教
★そして、1762年9月、各国での演奏旅行の帰路、シ
映画などでその辺りのことが描かれていますが、6歳の坊
★また、嫁ぎ先だったフランスには、当時入浴の習慣がなかったことで、幼い頃から入浴好きのアントワネットは、大きな容器を用意させ、そこにお湯を貯めて入浴を欠かさなかったと伝えられます。もちろん、アントワネット使用以来、その習慣はフランスにも導入され、今に至っています。
その頃には既に入浴時に体臭を消すために湯船に香料を入れるのが慣習となっていたオーストリアですが、彼女は香りの強い香料よりも心地好い香りを放つバラなどの花の香料を好んだことで、ヴェルサイユ宮殿の庭に芳しい香りを持つ薔薇や百合の花、そして、ハーブを植え、香りの追及と様々な改良がなされ、入浴剤として使用しました。それらが後に香水の発展に大きく寄与したことは誰もが知るところですね。
★次に「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」の発言の流布の真意です。
マリー・アントワネットは、フランス革命前に民衆が貧し
でも、当時はブリオッシュはパンの扱いではなく、お菓子とされていましたから、お菓子を食べればいいじゃない
飢えに耐えている民衆に、その手に届かないものを食べたらいかが、と発したとすれば、相手は腹が立ちます。
当然、相手を侮辱した言葉として、発言者が非難されても
でも、この発言は彼女が生涯を終えた約30年後に、マリー・アントワネット自身の言葉ではないことをルソーが1766年に出版した自作「告白」の第6巻で、明かしたのです。
★それは文中で
「農民にはパンがありません」との発言に対して、さる大公夫人が「それならブリオッシュを食べればよい」と答えた;
ワインを飲むためにパンを探したが見つけられないルソー
ルイ16世の叔母であるヴィクトワール王女の発言ではな
★その他、この「パンがなければ」発言事件だけではなく、アントワネットを誹謗中傷する多くの件も、ことの真意
羨望の的であったとはいえ、フランス国民の嫌われ者だっ
そして、ごく一部でしたが遺骸を見つけ、1815年1月21日、歴代のフランス国王が眠るサン・ドニ大聖堂に夫のルイ16世と共に改葬されたのです;。
38年の短い生涯を他意によって終わらされたマリー・アントワネット;。ルイ16世に嫁がなければ、と悔まれもするのですが、これが定めだったのでしょうね;。
美しく聡明な女性として生涯を終えたアントワネットは、
モーツアルトがプロポーズしたことも今は理解できますね。素敵過ぎる女性でしたから;。
★写真はパリの街角に建つパン屋さん“ジェラール・ミロ
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(トラベルライター、作家 市川昭子著)
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