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「清浄野菜」から「安心・安全」野菜へ

 

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大田市場

 

戦後の占領軍にとっては日本で栽培された野菜を食することが悩みの種でした。

米軍は40万人の駐留軍を投入したといいます。そこで問題となったのが米軍の食料 調達です。肉やパンは本国から輸入できても野菜は江戸時代と同じことで、鮮度のいいものを現地調達しなければなりませんでした。いまでこそ冷凍技術の発達で、ブ ロッコリーなどの野菜もアメリカから輸入されたりします。しかし、当時はまだコールドチェーン技術は普及していませんでした。日本では菜っ葉に人糞をかけ ているというわけです。


そ こで米軍はその解決策として、基地の近くの調布と西側は滋賀県・大津に広大なハイドロファーム(水耕栽培施設)を作りました。建設施工したのは間組。同社 の100年史にはそのことが記録されています。施設で作業したのは巣鴨プリズンにいた人たち。さすがは米軍です。みごとな実験でした。しかし、この施設は どうしたわけか長く続きませんでした。
 

その原因をいつか腰を据えて調査してみたいと思います。

 
野菜の人糞栽培を嫌うことで「清浄野菜」という使い方がされるようになりました。人糞使用では清潔感がないということだったのでしょう。

 
ところで清浄野菜が大きく飛躍したのは、1964(昭和39)年に東京で開催された第18回オリンピックがきっかけです。

 
93 の国と地域から5,152名の選手が訪日したのです。

関係者、観客を入れると10倍以上でしょう。そのための食材が必要でした。こうしてオリンピック開催 で社会が大きく変わりました。新幹線も走るようになりました。ともあれ戦後初めて国際化の仲間入りを遂げたわけですから。

 
ま た忘れてならないのは、食の洋風化が進行していったのもこのころからです。それに伴い西洋野菜の需要が急速に拡大していきました。さらにその年にスーパー のダイエーが関西地区から首都圏に進出したことです。4店舗をオープンさせました。

そしてスーパーが雨後のタケノコように台頭してきて、パパママストアの 小売業の形態が様変わりしていくのです。

 
築地市場の古老の話によりますと、代々木のオリンピック選手村に食材配達をしたそうです。オートバイで日に何回運んだか分からないほどで寝る間はなかったようです。

 
こうしてオリンピック開催をきっかけとして、産地では化学肥料が投入されていくようになりました。消費が喚起されることによって、産地では農協共販も進展していきました。

 
一 方、平成になり北海道・千歳で自動制御技術をもった大手メーカー傘下の企業が、地元生産者と共同で米軍のハイドロファームならぬ大温室をつくりトマトの周 年栽培を開始しました。施設はオランダからハウスづくりの技術者を招いて建設されたものでした。ところがすぐに失敗してしまいました。

 
幸 いに私はそこの社長に取材する機会がありました。「なぜ失敗したのか?」聞きますと「夏場の高温障害」のためということが分かりました。農産物は生き物で す。人工的な制御はかんたんなことではありません。ハイドロファームといい大温室といいなかなか成功しません。理論どおりにいかないのが農業の現場です。

 
こうした時代の変遷とともに流通は様変わりしてきました。大量生産、大量消費という流れができてきた矢先にバブル経済が崩壊。スーパーは売上減少が続いています。大量生産、大量消費が暗礁に乗り上げていることはもう明確です。

 
農薬・化学肥料も万能ではなくなりました。安心・安全を求めて有機栽培、自然栽培の見直しも始まっています。とくに3.11以後、価値観が大きく変化してきています。

 
消費者はもうホテルやデパートの食品の偽装問題にはうんざりしています。食品産業のモラル低下には呆れますが、厳しい消費者の目があることを忘れてはならないでしょう。

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