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「太平洋ひとりぼっち」50年後の回想

 



独創的な発想でチャレンジ

 

 

1962年、一人の無名の青年(23歳)が満を持して西宮のヨットハーバーを、だれにも行き先を告げずに密かに出航した。

 

 

彼はあらゆる手を使って渡航申請をしていたのだが、外務省はとうとう許可を出さなかった。

 

 

そこで密出国となった。

 

めざすは太平洋を横断しサンフランシスコ湾に滑り込むことであった。

 

(SFのフッシャーマンズワーフ)

 

外洋小型ヨット、マーメイド号で単独無寄港の航海(94日間)に成功し「太平洋ひとりぼっち」(石原裕次郎が石原プロで独立後、第一作目として映画化もされた)として有名になった海洋冒険家・堀江謙一さんのことだ。

 

その後も、堀江さんは数々の冒険にチャレンジされていることはご承知のとおりだ。

 

当時、私は中学生であったが少年たちにも大きな夢を与えてくれた ことは間違いない。地図帳を広げては太平洋の大きさを確認した思い出がある。

 

時代背景は、60年安保闘争の敗北感が漂っているなかでの破天荒な大冒険の快 挙であった。

 

80年代に私も2回サンフランシスコのフイッシャーマンズ・ワーフの外れにある海洋博物館を訪れ、堀江さんが サンフランシスコに寄贈されたマーメイド号を見たことがある。

 

狭いキャビンの中をまじまじと覗き込んだときの感動はいまでも忘れられない。

 

また堀江さんの 書物でマーメイド号に積み込んだ「財産目録」に目をやったときも深い感動を覚えた。えんぴつ何本、パンツ何枚まで記入してあった。この大成功の裏で緻密な 計画がされていたことが裏付けされた。

 

感動するのはこれからだ。つまりアメリカ側の対応だ。

 

 

多くの識者にすでに指摘されたことだが、アメリカは密入国のはずだった堀江さんを強制送還するの ではなく、サンフランシスコのジョージ・クリストファー市長を始め多くの市民が、彼を大歓迎して名誉市民にまでしてくれたのである。

 

(寄贈されたマーメイド号)

 

その大歓迎されている大きな写真が博物館にも掲げてあった。太平洋をヨットで単独横断した人類最初の偉業でリンドバーグと同じ価値があると言われたものだ。

 

かりに堀江さんが運悪く太平洋で海の藻屑と消えていたら、日本の外務省はそら見たことか、だから渡航許可をださなかったのだと弁明していたに違いない。

 

情けないのはこうしたアメリカ側の報道で日本の役所、マスコミもころりと態度を変えたことだ。しかし渡航申請を最後まで許可しなかた役所が、快挙を 言い始める資格などないはずだ。日本の外務省ほど国際化していないところはない。

 

いかに戦時下とはいえユダヤ人にビザを発給し続けた外交 官・杉原千畝さんの外交特権を剥奪し処分したことも、世界の歴史上において不名誉な汚点として残されている。

 

 

さて、自らがギリシャ移民の子であったサンフランシスコのジョージ・クリストファー市長は、日本の青年の大冒険を高く評価し、市長は側近として仕えた元アメリカ大統領アイゼンハワー氏にも相談。即刻、サンフランシスコの名誉市民として、一ヶ月間の米国滞在を認める決断をした。

 

いまさらアメリカの民主主義を云々するつもりはない。しかし、これだけのことははっきりと言えるだろう。密入国の堀江さんの冒険を手放しで称 えてくれた多くのアメリカ、サンフランシスコ市民と、ジョージ・クリストファー市長の人間としての決断には敬服はできるだろうと・・・・。

 

そして堀江さんはその快挙後40年目(2002年)に、亡きジョージ・クリストファー元市長に捧げる感謝の航海「太平洋ひとりぼっち」をされたのであった。

 

 

 

 

 

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