さあ、ここがロードス島だ、ここで跳べ!
いま市場も難局を乗り越えるために
海図なき航海をせざるを得ないときです
市場のセリ人でベテランになってくると、産地の会議などで話す機会が増えてきます。
生産者大会などでも消費地の状況を話さなければならない。
また産地、
ということで人前で話す、
また酒も強くならなければいけません。
若い時には進んでこうした依頼を引き受けて、
むかしのセリ人には学生時代に弁論部に所属していた人もいて、
東京青果の元社長の関矢一郎さんはスピーチがとても上手でした。
声の発生は日ごろセリで鍛えているのでマイクなしでも声はよく通
宴会の立ち回りも上手になる。
こうなると産地の役員などにも人気が出てきて、
いい仕事をした人たちのなかには、
産地が会社のセリ人を育てるといっても過言ではない。
また役所(農水省、地方公共団体)との折衝・
しかし、こうした会議は現場上がりが苦手とする会議です。
法令にもある程度精通していなければならないからです。
こうした対応ができる人材が、卸売会社には不足している。
市場内での馴染みの会話には滅法強いのですが、
いざ鎌倉という時に途端に元気がなくなる。
ましてや産地との会議となるとやれ腹が痛い、
これでは先に歩武を進めることができない。
しっかり自分を磨き直そう。
70年代、東京・青山トンネルの入り口のところに「
学生運動華やかなりしころのことで時代は昂揚していたのですが、
海図なき航海をせざるを得ないときです。
さあ、ここがロードス島なのだ、ここで跳べ!
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