さあ、ここがロードス島だ、ここで跳べ!

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さあ、ここがロードス島だ、ここで跳べ!

いま市場も難局を乗り越えるために
海図なき航海をせざるを得ないときです

 

 

 

 

 

市場のセリ人でベテランになってくると、産地の会議などで話す機会が増えてきます。

生産者大会などでも消費地の状況を話さなければならない。
また産地、種苗会社などの雑誌に原稿も書かされるから勉強も必要になってきます。

ということで人前で話す、原稿を書く作業に慣れなければならない。

また酒も強くならなければいけません。

若い時には進んでこうした依頼を引き受けて、自分を鍛えて場数を踏んだほうがいい。

むかしのセリ人には学生時代に弁論部に所属していた人もいて、大勢の前で話すのに動じない人もいました。

東京青果の元社長の関矢一郎さんはスピーチがとても上手でした。

声の発生は日ごろセリで鍛えているのでマイクなしでも声はよく通る。
宴会の立ち回りも上手になる。

こうなると産地の役員などにも人気が出てきて、生産者大会には出席依頼のご指名がくる。

いい仕事をした人たちのなかには、必ず背後に有力な産地を抱えているのです。

産地が会社のセリ人を育てるといっても過言ではない。

また役所(農水省、地方公共団体)との折衝・会議も卸売市場法との絡みで多いのです。

しかし、こうした会議は現場上がりが苦手とする会議です。
法令にもある程度精通していなければならないからです。

こうした対応ができる人材が、卸売会社には不足している。

市場内での馴染みの会話には滅法強いのですが、市場外に出ると借りて来たネコになる内弁慶もいます。

いざ鎌倉という時に途端に元気がなくなる。

ましてや産地との会議となるとやれ腹が痛い、頭が痛いと言ってはいなくなる。
これでは先に歩武を進めることができない。

しっかり自分を磨き直そう。

70年代、東京・青山トンネルの入り口のところに「ここがロードス島だ、ここで跳べ!」という高尚な落書きがあったことを思い出します。

学生運動華やかなりしころのことで時代は昂揚していたのですが、いま市場も難局を乗り越えるために
海図なき航海をせざるを得ないときです。

さあ、ここがロードス島なのだ、ここで跳べ!

 

 

 

 

 

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